担当とは

巷で担降りブログが流行っていたので、己にとっての担当とは…?をまとめておきたくなった。
何せここで降ります!と担降りしていった人たちのキラキラが羨ましく、やりたい!私も衝動のままに生きたい!でも担降り先がなかった、担降りの素質がなかった…と若干残念な気分になったのです。

※以下、頭の中でプロフェッショナル仕事の流儀の音楽を奏でながらテンションを上げてお送りします。

私にとって担当の定義は、
①お金を使いたい人(本人に貢ぎたいなと思う人)
②ライブなどでずっと見てたい人
③出演番組など見逃したくない、保存しておきたい(出来れば高画質で)
④その人のタレントとしての人生を余すとこなく見たい人
以上になります。

そして担当は1人だけ。
好きなグループ、好きな人は複数いてもいい、むしろたくさんいる。でも好きという言葉だけじゃおさまらない、自分の欲に直結した相手が担当なのです。
ただ好きな人、好きなものは執念深さは発揮せずにカジュアルに楽しめるもの。このカジュアルさも私の人生には大事。
でも、カジュアルさなどない、誰にも深く知られたくない心の深いところで執着してるのが担当。
つまりは好きと愛と楽しいと執着と執念、喜怒哀楽捧げたくなる相手が担当で、そんな相手が1人いたら違う人に目と感情を向ける余裕が持てないので降り先なんて見つかるわけがない。
けれど、喜楽だけの掛け持ちはできる。
だから担当は1人、好きなグループは2つ。好きな人もジャニーズに限らずたくさん。だから私には担降りができなくて、好きなものを増やすしか能がない。
そして好きがなくなったら別の好きなものを探す必要はなく、好きがなくなるだけ。
これが自分の担当と担降りと掛け持ちの答え。