最後の砦とはなんだったのか 前編

ヲタクの数だけ見えてる世界がある。
その人にしか見えてない世界って絶対ある。

さて、最後の砦とはいったいなんだったのか?
砦というよこすばを表現する言葉を初めて知ったのはいつだっただろうか?おそらく2005年にはすでに存在し、知っていた気がする。(なぜ2005年かと言えば、この言葉は某巨大掲示板で知ったもののファンになった2004年はそこには足を踏み入れていなかったはずだから)
何をきっかけに生まれた言葉なのか、正確にどんな意味で言われてる言葉なのかはわからないが、砦と言われて納得する関係性にしか見えなかったため、すんなり受け入れてしまったのを覚えている。
じゃあ、何がそう感じたのか?と想い出せば、当時プライベートでの遊んだ話が0なわけじゃなかったのにも関わらず、仕事で噛み合わず、目を合わせない、会話のタイミングが合わない、すばるの話すMCではよこは話さず、よこの話すMCではすばるが話さず、ひなすばのテリトリーにはよこやまさんは絶対足を踏み入れず、すばるはすばるでひなに依存?というか、自分だけのひなをよこに見せつけてるように感じた時期が2004から2007年くらいまであるからだ。
2008年以降は?といえば、2人ともに関ジャニ∞から視線が外れていた時期で、2人の関係性を気にすることはなかったかな…いや、それが答えか。
2人が似た時期に他所に目を向け、それによってよこすばの関係が一旦フラットになった気はする。
ただしこの時はまだ、今のよこすばは出来上がっていない。

流れを記憶を元に整理すると、よこやまさんに違和感を感じたのは有閑倶楽部時期からなのだ。
有閑倶楽部のメンツといるよこやまさんがそれはそれは楽しそうな様子で、関ジャニ∞といるよりも楽しそうな様子でショッキングだったのだ。
そして、有閑倶楽部を機にファンからの(他メンバーのファンからの)扱いがガラッと変わったのだ。
それにより、アイドルとしての美意識が芽生えたのがここからかな…と考える
そして2007から始まる怒涛の現場満足度120パーセント期
横山裕ソロコン、ひなすばによる未定「壱」、みんな大好き集合コン春夏。
見たいエンタメしかそこにはなかったのだ。
そしてそれが各々の得意分野ではなかった時期。つまりそれぞれが得意分野の砦を崩した時期なのだと考えている。

長くなったため、後編(もしかしたら中編)へ続く