最後の砦とはなんだったのか 後編

続きに入る前に。
砦期に感じてたのは2人によるひなの取り合いであり、すばるはひなを自分だけのものにしたくてそれを表現し、よこやまさんはそれに対して譲ってた時期のような印象がある。
それがなくなり砦ではなくなった。そして三馬鹿の中心がひなではなくなったのだろう…


さて、続き。中編になるか後編になるか今時点では不明。

私の見てきた関ジャニ∞の物語のキーとなる年は2007年から2009年だ。
2007年。一度は失ったハズのものをもう一度手にする夢を見た年。
私の記憶する限り、ガッツリとジュニアを使った最後の年。この年以降も何度かジュニアを使っていたが、ジュニアにスポットライトを当ててなかったような印象がある。
そして2006年というソロコンイヤーにソロをやらなかった?できなかった?横山裕がソロをやった年。

すばるは、何かにつけて横山裕を優しいと。すごく優しいと言ってくれていた。でもどこかその言葉に薄さを感じてた。
繊細で神経質と表現するときはそうなんだろうな…とストンと心に入るのに。なぜかね。
当たり障りなく優しいという表現でしかできないんじゃないかな?とたぶん感じてたから。
だから、横山さんのソロコンを見た感想をラジオで話したすばるの言葉に本心を感じた。嬉しかった。
この後に08年春夏という伝説とフラフラという悪夢(すばる担には大変申し訳ない…ほんと申し訳ない…でも、関ジャニ∞を踏み台にしてフラフラを引き上げようと感じられた発言は忘れられない。乗り越えた今に幸せがあるのは間違いないよ大好きだよ。あの当時の自分に今こんなに幸せだよって伝えたいよね)
とまあ…横山さんもすばるもエイトといるより外の人といる方が楽しそうで、私自身もその気持ちに引きづられた09年…だからパズルはあまり入らなかった。でもパズルが楽しくて…そしてパズル長野をきっかけに話し合いが持たれて再度結束が深まってからの初カウコン。楽しくて楽しくて嬉しくて、好きな関ジャニ∞がそこにいて、ああ、またファンにさせられた…好きだなぁ…ほんと好きだなぁって思わされたカウコン。ただ、この時は横山さんは関ジャニ∞に心が戻り、すばるはまだ葛藤があった。すばるの葛藤は2010年まで続く。
そして2010年…横山さんのソロツアー、ソロツアー中の不幸。
なんとなく、これが横山さんがまるすばに落ちた(表現よ…)きっかけだと思う。この時プライベートの横山さんに寄り添ったのは2人だと思う。
他のメンバーも仕事面で支えたり、プライベートも支えたりしていたのだろうが、まるすばだけが横山さんに『甘えた』んじゃないかなと思う。
横山さんってどこかしら甘えられることでアイデンティティー保てる人だと思うんです。

すばるの、最近よこと遊んでないんですよーって甘えるセリフに横山さんが気持ちよく甘えさせてもらえて、遊んで一緒に食べて飲んでモンハンやってダンスの自主練で仲が深まったんでしょうね。すばる相手だと仕事の話をしなくていいってのもよかったんじゃないかな…今はまた違うだろうけど、仕事の話をしたくない時期、したい時期ってあると思う。そこを合わせてくれてすばちゃんありがとう。
うん。たぶんすばるが先に距離詰めたんだな。物理的な行動は横山さんだとして、精神面はすばるだな。

そして、ここまで書いて思ったけど、2008年にモンハン始めだし、ダンス頑張らなきゃいけない年でたぶん一緒に自主練とかしてたのも2008年。物理的な一緒の時間増えたのは2008年だなこれは。
友達になれたのが2008年、ツレになった2010年だと思う。私の目から見たときに。だから砦だったのは07までかな。たぶんね。

まとまりない長い長い独り言おーわり